1977-11-15 第82回国会 参議院 建設委員会 第4号
しかも衆議院の建設委員会に建設省河川局が提出した京坂元宇氏の事情聴取メモ。京坂元宇氏は当時の問題についてこう述べている。室町産業から工事上必要な土地を買収したことを証憶していると。だから、北陸地建はあの当時、堤を作業するのにいろいろやって、とにかく霞堤は四十年から建設が始まったんですから、土地を買ってみたら室町産業というのが出てきたわけですね。
しかも衆議院の建設委員会に建設省河川局が提出した京坂元宇氏の事情聴取メモ。京坂元宇氏は当時の問題についてこう述べている。室町産業から工事上必要な土地を買収したことを証憶していると。だから、北陸地建はあの当時、堤を作業するのにいろいろやって、とにかく霞堤は四十年から建設が始まったんですから、土地を買ってみたら室町産業というのが出てきたわけですね。
当時の北陸地建の担当河川部長は、これまた有名な京坂元宇という人物であります。その前には長岡の工事事務所長をしておった。そしてその後は北陸地建局長までした人物であります。したがって、この四十一年当時の橋本建設大臣の答弁は重々承知している立場にあります。また、霞堤が霞堤でなくなり本堤に変わる、その全経過に携わっている人物でもあります。
それで、私はここでもう一つ質問したいんですけれども、ここで私は京坂元宇——当時のかつて長岡工事事務所長、これは三十九年から四十年、買い占めたときの長岡工事事務所長です。それから四十三年七月に締め切ったときの、恐らくそのときだと思いますけれども、日にちははっきりわかりませんが、北陸地建の河川部長です。それから昭和四十九年から五十年まで北陸地建局長をやった人です、京坂元宇さん。
それから四十三年度、局長松本正雄、河川部長京坂元宇、河川計画課長山田睦郎、補佐島倉幸夫、係長小柳乙彦、担当者は佐藤茂、平田健。 四十四年度は局長が佐々木茂雄、河川部長井田至春、河川計画課長山田睦郎、補佐島倉幸夫、係長小柳乙彦、担当が平田健、小池直史、そういうことでございます。
そのうち佐藤昭、入内島金一、京坂元宇、庭山康徳、片岡甚松の五人については当委員会の理事会で全員一致で招致されることがきまっていたにもかかわらず、きょうそこまでいっておりません。きわめて残念なことであります。私はきょう直接この室町産業の関係者である佐藤昭、入内島金一、庭山、片岡、この四人の人に信濃川河川敷問題についての大きな疑惑をただすというつもりでした。
三人目は、当時の長岡の工事事務所長の京坂元宇氏であります。きょうは時間がありませんのでこの事務所長の問題について触れませんでしたけれども、局長の答弁によっても、この堤の問題、バイパスの問題、なぜ締め切ったのかという問題について最大の責任者である北陸地建長岡工事事務所長、この人を証人として呼んで調べる必要がある。